◆Vol61:22年ぶりの大糸線/糸魚川駅・翌日に備えて~北陸&大糸線「青春18」フィールドワーク

約2時間半ほとんど「貸し切り状態」で南小谷駅を堪能した後、夜9時過ぎにようやくやって来た437Dに乗って糸魚川に戻ります。車両は行きの436Dと同じキハ52-156でした。

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大糸線折り返し437D(キハ52-156)/南小谷駅090724

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大糸線437D(キハ52-156運転台・糸魚川向き)/南小谷駅090724

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大糸線437D(キハ52-156助士側車番表示)/南小谷駅090724


この日の最終列車(21:08南小谷発)437Dは、糸魚川から来てそのまま折り返す人々や南線の電車から乗り継いだ人々で席がざっくりと埋まるくらいの乗車率でした。この列車の運転士さんは、なかなかファン対応に慣れた方のようで、ファンからの色々な質問-若干マニアックなものにも-短い折り返しの時間にもかかわらず丁寧に対応しておられました。

運転台をスナップしようとしていた私も「どうぞどうぞ、たくさん撮って行ってください。ええ、中の車番もどうぞ」と声をかけていただいたのですが、別段何ともない会話でも一人でこうしてふらふらしていると、ちょっとした気持ちがうれしかったりします。

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大糸線437D車窓(頚城大野駅)090724

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キハ52-115翌日の出動準備/糸魚川駅090724

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糸魚川駅・赤レンガ車庫(糸魚川運転センター)090724


大糸北線437D最終列車は、途中の乗客の乗り降りもほとんどなく、ほぼ南小谷を出発した状態のまま夜10時過ぎに糸魚川に戻ってきました。入線したのは夕方出発した4番線ではなく、その隣の3番線。4番線には行きに根知ですれ違った先代標準色のキハ52-115が停まっています。方向幕は「糸魚川-平岩」となっていて、おそらくこの車がそのまま翌朝の1番列車のすぐ後に出発する平岩折り返しの424Dになるのでしょう。

3番線に入った最終437Dの「タラコ君」は、乗客を降ろすとすぐさま元来た方向に向けて引き上げて行きます。翌朝の始発はおそらくこっちになるはずなので、あれ、これはどういうことかと思いながら見ていると、数分もしないうちにエンジン音とともにヘッドライトが眩しく光り、赤ツートンの115号車のすぐそばに寄り添うようにして停車しました。なるほど、このポジションのままホームで滞泊ということですか。

車内の蛍光灯を消し、軽くアイドリング音を立てながら翌日の仕業に備える2両のキハ52の反対側には、糸魚川駅名物の赤レンガ車庫が常夜灯に照らされて暗闇の中に浮かび上がっていました。さぁ、私もそろそろ今晩の落ち着き場所を探しに行くことにしましょう。確か20分ほど歩いた国道8号線沿いにネットカフェとコンビニがあるはずです。

そういえば、まだ夜ご飯も食べていないことに今更ながら気が付きました。


※このシリーズの写真は、「幌苦総合車両所・画像センター(はてなフォトライフ)」のフォルダ「※09夏北陸大糸線」に収録しています。右側の「お気に入りブログ」にフォトライフへのリンクがありますので、そちらもご覧ください。

◆Vol60:22年ぶりの大糸線/南小谷駅~北陸&大糸線「青春18」フィールドワーク


南小谷に着きました。
さあこれからどうしたものか。
 
ここまで乗ってきたキハ52-156は8分で435Dとして糸魚川に折り返していきます。435Dにそのまま乗って糸魚川に戻ってもいいのですが、それでは少しもったいない。でもその次の列車は約2時間半後の夜9時過ぎ(これが最終列車)。

反対側で待つ南線の1348M(E127系)に乗り換えて信濃大町まで往復してきても糸魚川行きの最終には何とか間に合います。とはいえそれでは何か慌ただしい。
  
で、結局南小谷で2時間半過ごすことにしました。せっかく22年ぶりに来たのですから、暗くなる前に色々と周りを撮って歩くこととしましょう。



駅の周りを暗くなる直前に色々と撮って回り、8時過ぎに松本行きの南線電車が折り返して行って接続する村営バスも出てしまうと、もう本当に私には何もする事がなくなってしまいました。しかも意外なことに待合室にもホームにも私一人きり。駅員さんも事務室に入ったままです。


The summer is magic, is magic!! Oh oh oh
The summer is magic!!
You have to imagine, imagine!! Oh oh oh
The summer is magic!!


朝家を出る直前に慌てて探してカバンに放り込んできたmp3プレイヤーをポケットに突っ込み、タバコと缶コーヒーを片手に、糸魚川からキハ52-156が帰ってくるのをひたすら待ちながら、ホームで一人とにかくぼんやりと時間を過ごすことにしました。長いのか短いのかよくわからない時間を過ごすのは……今の大人にとっては、実は結構ぜいたくなのかもしれません。


■姫路モノレール/09鈴鹿F1/08岩手青森・幌FW ~はてなフォトライフ作業録

現在鋭意アップ中の画像について。

はてなフォトライフは、無料版は月あたりのアップロード量は30MB(月180ポイントで3GBまで可能)となっていますが、11/28現在で約94%利用(残り約2MB弱)しました。私がはてなフォトライフに画像をアップする際の画像1枚あたりのサイズは800×600pix(画像により若干サイズは変えています)、概ね100KB前後なのであと画像は20枚ほどアップできますが……現在作業中のシリーズのアップ完了は12月にずれ込むことになりそうです。



1966(昭和41)年の姫路大博覧会に合わせ姫路駅と会場の手柄山を結ぶ交通機関として(というか実際は「先行開業」だったのですが)開業した姫路モノレール。博覧会終了後は乗客が激減し、路線延長も果たせぬままわずか8年で営業休止→廃止となり、その後は解体・撤去にも費用がかかることから、路線跡の相当部分がそのまま残され、車両も手柄山駅跡に保管されたまま35年間「封印」された状態が続いていました。

ところがこのたび駅跡を整備した上で2012(平成23)年春から一般公開されることとなり、正式公開に先立ち車両の移設状況や当時の設備・資料等が11/15(日)に1日のみ一般に公開され、私も記録に収めてきました。予定としては次の三部構成になりそうです。

<1> 公開されたモノレール車両(200形202号車)の外観
<2> 特別展示資料と手柄山中央公園風景
<3> モノレール路線の遺構

現在は<2>の途中までアップを完了しました。



今年3年ぶりに鈴鹿サーキットに戻ってきた「F1日本GP」。その間何となくF1そのものも少しずつご無沙汰になってしまった感がありましたが、やはり3年ぶりのF1観戦は「血が騒ぎ」ました(爆)。

今回はクルマではなく、公共交通機関で往復(&ネットカフェで泊まり)しましたので、鉄っちゃんも兼ねたF1観戦になりました。伊勢鉄道近鉄鈴鹿線も初体験、ということで実は撮った写真の半分ほどは鉄道関係です。「ライフワーク(爆)」となった「貫通幌のフィールドワーク」ももちろん抜かりなく済ませてきました。

現在はほぼ9割方アップ完了、後は帰路の鉄道写真を残すだけです。


あとは画像をアップしたのみでタイトルをつけていないもの(「08岩手青森・幌FW」)を少しずつ片付けているところですが……こっちの方はなかなか進んでいません。



◆Vol59:22年ぶりの大糸線/436D(2)根知→南小谷~北陸&大糸線「青春18」フィールドワーク(旅のようなものVol59)




大糸線436D(糸魚川17:37→南小谷18:38)の乗車レポートの続き。

根知を出発して小滝、平岩と進んでいくここからが大糸線非電化区間で最も地形が厳しく険しい区間となります。

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(はてなフォトライフhttp://f.hatena.ne.jp/o_keke_nigel/20090731220158)

☆174:大糸線436D車窓・根知-小滝間/姫川第六発電所090724

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(はてなフォトライフhttp://f.hatena.ne.jp/o_keke_nigel/20090731220159)

☆175:大糸線436D車窓・小滝-平岩間/姫川の奔流090724

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(はてなフォトライフhttp://f.hatena.ne.jp/o_keke_nigel/20090731220503)

☆176:大糸線436D車窓・小滝-平岩間/姫川の奔流090724


1995(平成7)年神戸在住の私にとっては地元を大震災が襲った年として今なお鮮烈な記憶が蘇ってきますが、ここ大糸線にとってもこの年は節目となる年でした。


1995年7月11日、新潟県上越地方と長野県北信地方を襲った集中豪雨により、急峻な流れと周囲の脆弱な地すべり地形のため「暴れ川」として知られる姫川が大氾濫、流域の各所で土石流や地すべりが続発しました(死者2名、家屋の全半壊39戸)。国道148号線(千国街道)は新潟・長野県境の国境橋が流されるなど不通となり、国道とほぼ平行して走る大糸線も各地で寸断され、根知から電化区間の白馬までが運休するという事態に陥りました。懸命の作業により、白馬から南小谷は翌月に、小滝までは9月に復旧したものの、残りの小滝-根地間の復旧には2年4ヶ月を要しています。

車窓から見える姫川は、水量はそれほどでもないようにも思われましたが、所々白濁して激しく流れている様は、まさに「奔流」「暴れ川」の名にふさわしいたたずまいでした。

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(はてなフォトライフhttp://f.hatena.ne.jp/o_keke_nigel/20090731220506)

☆179:大糸線436D車窓・平岩-北小谷間/トンネルに分け入る090724


大糸線436Dのキハ52-156は、鉄橋をいくつも渡っては「奔流」姫川を右に左に縫うようにして歩を進め、また、幾度となく現れるスノーシェッドやトンネルに分け入っては、勢いよく吹き上がるツインエンジンの咆哮を壁面に響かせていきます。トンネル内には所々に霧が立ち込めていて、その白い塊に飛び込むたびに漆黒の車窓が一瞬鈍く光ったように感じました。

また、カーブ区間にこれでもかというほど立っている制限速度標識も35kmや30kmはざらで、中には25kmというものまであり、急カーブにキハ52がさしかかるたびに車輪が激しく金属音を立てて軋みました。

懐かしい22年ぶりの大糸線非電化区間の車窓……と書きたいところですが、実はその当時のことを私はほとんど覚えていません。忘れてしまった、というよりは元から全く頭の中に入っていないのです。大垣夜行、新宿夜行と車中2連泊は学生の身にもさすがに無茶だったのか、松本から大糸線に乗り換えてからは、穂高南小谷糸魚川と3回連続で車掌さんに「終点ですよ」と起こされるありさまで、南小谷からもキハ58の2両編成に乗って出発したところまでは覚えているのですが……その次の記憶は下校する高校生で満員の北陸線475系が糸魚川駅のホームにたたずむ姿でした。


18:38、とうとう南小谷に到着。ここから白馬・大町・松本方面へは跨線橋を渡って反対側に停まっているE127系電車(1348M)に乗り換え、ここまで乗ってきた436Dは約10分の休憩の後、435Dとして糸魚川に折り返していきます。

神戸からここまで5本の普通列車(新快速含む)を乗り継ぎ、約500km弱&10時間。「スキモノ」にとっては苦にならないどころか楽しくさえあるのですが、まぁ我ながら本当に酔狂な話だと思います。

【関連記事】
「鉄道の日記念きっぷ」で秋の北陸の旅(3)糸魚川~金沢(トンコさん)
鉄道の日記念きっぷ」で大糸線北陸線というルート(ちょうど今回の私と逆方向)で駅舎めぐりをされてきたトンコさん大糸線非電化区間乗車レポートです。列車の少ない北側の駅を効率的に回るために編み出された秘技「水前寺清子走法」は次回訪問の参考に是非させていただきたいと思います。

◆Vol58:22年ぶりの大糸線/436D(1)糸魚川→根知~北陸&大糸線「青春18」フィールドワーク



大糸線436D(糸魚川17:37→南小谷18:38)の乗車レポート。

糸魚川駅を、もと来た富山方面に向けて出発し内陸寄りにカーブ、市街地を抜けて短いトンネルをくぐると次駅の姫川です。ここから頸城大野根知までは水田や森の中を淡々と進む比較的穏やかな道のりでした。



根知(ねち)駅-この駅は、大糸線の北側(糸魚川南小谷間)の途中駅で唯一列車交換が可能となっていて、対面式ホームが平行に並ぶ2面2線のレイアウト。糸魚川南小谷の非電化区間は1日7往復、糸魚川から途中の平岩で折り返す区間便が朝夕各1往復、合計9往復のうち、ここ根知で行き違うのは朝1回、昼1回、夕方2回計4回となっています。

436Dが根知に着くと……平岩から折り返してきた433Dが先着で待ち受けていました。この日最後の列車交換です。


行き違い相手の433Dとしてこの日運用に入っていたのは先代標準色(クリーム4号&朱色4号)のキハ52-115でした。タラコ色の首都圏色や、今のファンの多くにはリアルタイムの記憶というよりは「動く資料」として人気がある初代標準色のキハ52-125も異彩を放っていてイイのですが、私の年代(1964年生まれ)的には、ローカル線のディーゼルカーはやはりこの色でなくては。

唯一の列車交換場所として異なる塗色の列車が並ぶこの駅は、約35kmの間にいくつも有名な撮影スポットのある大糸線非電化区間の中でも有数の「絵になる場所」として知られています。カメラと三脚を携えた多くのギャラリーに見送られ、436Dと433D、2両のキハ52は挨拶代わりに白いエグゾーストを噴き上げ、それぞれ反対側に別れて行きました。

さて、ここからが大糸線非電化区間の「ハイライト」となる険しい道のりになります。


根知駅 列車交換のスケジュール】
■駅から時刻表 根知駅より
<1>
糸魚川から 426D(8:15発)→根知8:29着8:32発
南小谷から 423D(7:51発)→根知8:31着8:32発
<2>
糸魚川から 432D(14:49発)→根知15:04着15:04発
南小谷から 429D(14:21発)→根知15:02着15:04発
<3>
糸魚川から 434D(16:41発)→根知16:55着16:56発
南小谷から 431D(16:13発)→根知16:53着16:56発
<4>
糸魚川から 436D(17:37発)→根知17:51着17:52発
※平 岩から 433D(17:29発)→根知17:49着17:52発

■09夏北陸大糸線~はてなフォトライフ作業録(2)


はてなフォトライフにフォルダ「09夏北陸大糸線」の写真とタイトル全584枚アップ完了しました。

この夏実に16年ぶりに「青春18きっぷ」を購入して1泊2日で神戸から湖西線経由で北陸本線糸魚川まで北上、22年ぶりの大糸線を堪能した後、帰りは「オプション」で富山県営渡船とえちぜん鉄道に立ち寄りました。 旅程の詳細については、書庫「旅のようなもの」◆Vol50:敦賀直通新快速(1)-北陸&大糸線「青春18」フィールドワーク以下の記事で連載中です。

1 旅行日程


09.7.24(金)~25(土)で回ってきた日程は次のとおり。

■特記がない場合はJRに乗車。[ ]は充当車両と○数字は両数、( )は到着/出発番線
◆7/24(金)
三ノ宮駅8:51(1)→(新快速3430/3130M:223④[⑧京都まで])→敦賀駅11:15(5)/11:43(5)
→(241M[521②])→福井駅12:39(4)/12:46(3)→(355M[475③])→富山駅15:38(5)/15:44(4)
→(549M[475③])→糸魚川駅17:03(2)
糸魚川駅17:37(4)→(436D[52-156])→南小谷駅18:38(2)/21:08(3)→(437D[52-156])
糸魚川駅22:03(4)…(徒歩約25分)…インターネット&コミックFu(泊)

◆7/25(土)
※インターネット&コミックFu5:00頃…(徒歩約25分)…糸魚川駅6:04(4)→(420D[52-156])
→平岩駅6:40/7:06→(421D[52-115])→糸魚川駅7:41(4)/7:58(3)→(534M[475③])→富山駅9:10(4)
富山駅北9:30→<富山ライトレール>→岩瀬浜駅9:54/10:30→<射水市コミュニティバス>
→新港東口(堀岡)10:56/11:05→<富山県営渡船(海竜)>→越ノ潟11:10/11:45→<万葉線(MLRV)>
高岡駅前12:27
高岡駅12:39(4)→(430M[475⑥])→金沢駅13:19(1)/14:07(3)→(354M[475⑥])→福井駅15:30(3)
福井駅15:56→<えちぜん鉄道>→福井口駅16:00/16:14→<えちぜん鉄道>→三国港駅16:58/17:39
→<えちぜん鉄道>→福井駅18:29
福井駅18:47(4)→(366M[475⑥])→敦賀駅19:39/19:52(7)→(146M[521②])→長浜駅20:34(3)/20:42(4)
→(新快速3535M[223⑧])→三ノ宮駅22:41(4)

2 主な目的と概要


※今回の「フィールドワーク」での”宿題”

(1) 北陸本線で疾走する「前幌」付き車両の観測
*475系電車……できれば「オリジナル塗色車」の観測
521系電車……新しい「幌の形状」の観測
125系電車……3次増備車(2006年敦賀直流電化時配置)の幌の形状

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(はてなフォトライフhttp://f.hatena.ne.jp/o_keke_nigel/20090730235500)

☆099:(左)355M(Tc455-47)/(右)549M(Tc455-18)/富山駅090724


(2) 大糸線キハ52
フォトライフ「☆144」「☆319」
*「国鉄一般型気動車標準色(赤ツートン)」のキハ52-115と「首都圏色」のキハ52-156を観測。
南小谷では敢えて折り返しの列車を1本遅らせて2時間半待ち。その間に大糸線電化区間で活躍中
 のE127系電車も観測。
*2日目朝は平岩まで往復。行きの南小谷行き420Dは平岩で17分の「ギャラリー・ストップ」(?)。
 帰りの421Dは平岩折り返しの赤ツートン(52-115)。
*「暴れ川」姫川に寄り添い、時折トンネルを喘ぎながら抜けるキハ52を存分に堪能できる。


(3) 富山県営渡船(オプション①)
*人工港の富山新港の建設に伴い分断された新湊地区と堀岡地区(今は共に射水市)を結ぶため1967年
 に設置された。
*24時間運行(2004年から深夜はジャンボタクシー化)で運賃は1986年から無料。
*概ね30分に1本ペースで所要時間は5分。
*新湊側は万葉線に接続して新湊・高岡へ、堀岡側はコミュニティバス富山地鉄バスで富山駅方面
 へ連絡。
*現在は新湊大橋が建設中で開通予定の数年後には廃止される予定。

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(はてなフォトライフhttp://f.hatena.ne.jp/o_keke_nigel/20090820211640)

☆400:富山県営渡船「海竜」/堀岡発着場出発090725



(4) えちぜん鉄道三国芦原線(オプション②)
*車両の老朽化等で重大事故を続けて起こし、国土交通省から業務改善命令を受けるなど経営に行き
 詰っていた京福電鉄福井鉄道部を福井県が2002(平成14)年に第三セクターとして再生。
*昼間の時間帯(概ね15時台まで)は女性アテンダント(運転業務はやらないので車掌ではない)が乗務。
*土・日・祝日は「1日乗車券」(大人800円)が発売される。三国港・勝山ともに片道750円なのでどち
 らかを往復してくるだけで元が取れるという大ボーナスチケット。
*今回のターゲットは前幌付きのMC6101形(もと愛知環状鉄道300形)。12両とえち鉄の最大勢力だが
 いざ撮ろうとするとほかの形式の運用に当たったりして結構時間がかかった。
三国芦原線の終点・三国港駅は1面1線の棒線駅だが、留置線を持ち、反対側の道路からクリアな
 形式写真が撮影可能。その他三セク化後整備し直された古い駅舎、レールの端点、駅手前のめがね
 橋(「ねじりまんぼ」と言われる特殊なアーチ工法で建設)など見所がたくさんある。


◆Vol57:22年ぶりの大糸線・糸魚川駅~北陸&大糸線「青春18」フィールドワーク




ここからは、いよいよ今回の旅行の「メイン・ディッシュ」大糸線(松本-信濃大町南小谷糸魚川105.4km)のレポートです。その中でも今回のターゲットはJR西日本が所管する非電化区間南小谷糸魚川間(35.3km)で、「暴れ川」として知られる姫川沿いをツインエンジン車のキハ52気動車が走っています。

大糸線は大学4年になる前の春休み(1987年)に松本から糸魚川まで乗りとおして以来の訪問で、実に22年ぶり。このときは南小谷からのディーゼルカーキハ52ではなく国鉄色のキハ58でした。



1 大糸線(北線)の車両

大糸線の非電化区間(南小谷糸魚川)で現在使用されているのはキハ52形100番台3両で、いずれも1966(昭和41)年製造で今はキハ120の牙城となっている越美北線からの転属です。

急勾配・急カーブが連続する路線の特殊性から、車齢40年を超えたにもかかわらず粘着性に優れる2エンジン車のキハ52が今なお活躍する数少ない路線……だったのですが、同様の路線事情の花輪線米坂線等(いずれもJR東日本)が最近新鋭のキハ110系やキハE130系に置き換えられたこともあり、「定期運行のキハ52形が走る」最後の路線となってしまいました。大糸線キハ52にも、ここ何年か、JR西日本非電化ローカル線の「顔」となった感のあるキハ120形への置き換えの話が持ち上がっており、実際に冬季テスト走行が行われたこともあったようです。

いずれにせよ、北陸新幹線が金沢まで開通する2014(平成26)年には接続する北陸本線がJRから経営分離されて第三セクター化される予定となっていることから、その時点で大糸線の非電化区間にも何らかの動きがあり、車両についても三セク標準の軽快気動車が導入されることが予想されており、キハ52の活躍も最大であと数年程度かもしれません。

2 大糸線キハ52(100番台)の特徴


大糸線キハ52を大きく際立たせている特徴……それは、運用されている3両がそれぞれ旧国鉄/JR一般型気動車の歴代標準色に塗り替えられ、「走る国鉄気動車博物館」となっているところです。

大糸線キハ52の関係は実は昔から深く、配置と他線区転属を何度か繰り返していたようです。「鉄道ピクトリアル」No.823(2009.9/キハ20系特集号)の記事によると、私が訪問した1987(昭和62)年当時にもキハ52が配置されていたようですが、その当時の主力は前述のとおりキハ58で、その後1988(昭和63)年から1992(平成4)年まではキハ52大糸線の運用から外れていた空白期間だったようです。

今運用されている3両……キハ52-115、125、156が越美北線からやって来た当初は、白色ベースに緑の斜めストライプの入った越美北線カラーのまま運用されていました。しかし、色が今ひとつ地味(というより正面ライト回りの屋根部分の塗り分けをしていなかったので「顔」に締りがないように見えてしまっていた)であることと、その当時はまだ各地の山岳路線でキハ52が活躍中だったこともあり、大糸線キハ52は、趣味者からはさほど注目はされていなかったように思われます。

国鉄色への塗り替えは、2004(平成16)年にキハ52-115(朱色+クリーム色の2代目標準色)を皮切りに順次進められ、2006(平成18)年に3両全部の塗り替えが完了しました。

※初代(~1959年):黄かっ色2号+青3号→→→キハ52-125 <2006.11変更>
※2代(~1976年):クリーム色4号+朱色4号→→キハ52-115 <2004.08変更>
※首都圏色(現行):朱色5号→→→→→→→→→キハ52-156 <2004.12変更>
 正面ライト回りの塗り分けは2005.04から

それぞれ異なる塗色に塗られたキハ52各3両の運用については、JR西日本糸魚川地域鉄道部の公式Webページで公開されており、何月何日のどの列車にどの車両が充てられているかが一目で分かるようになっています。


3 南小谷行き436D



……と、またまた例によって前置きが長すぎたのですが、糸魚川から17:34発の大糸線436Dに乗り換えです。

糸魚川駅大糸線ホームは、切り欠き状になった4番線で、駅舎(海側)から1番線(片側ホーム1面)、中に1線挟んで2番・4番・3番(島型ホーム1面)という2面4線(+中線1本)という配置になっています。上の2枚の写真は、手前が直江津方面、奥が大糸線の進行方向で北陸本線の富山方面になります。

この日(7/24)は、糸魚川地域鉄道部のWebページによると、436Dにはキハ52-125(初代標準色)が充当されている予定だったのですが、「首都圏色」のキハ52-156が代わりに入っていました。後で運転士さんに聞くところによれば検査の関係で125号車は富山の検修施設へ入っているとのことでした。

現行の「標準色」である朱色5号の通称「首都圏色」は、塗装工程の簡略化のために相模線や八高線など首都圏の線区で使用される一般型ディーゼルカーに採用され、その後標準色として全国に波及したカラーリングです。色鮮やかでよく目立つのはいいのですが、いかんせん色落ちがしやすく、さらに色落ちすると車両の古さがより際立ってしまう(電化直前の奈良線のキハ35とか本当にひどい色でした)ところから、ファンや地元の乗客からの評判は決して芳しいものではありませんでした。

しかし地域ごとのオリジナルカラーが主流となった今となっては、この「首都圏色」自体は希少色となった感があり、色落ちさえなければかえって新鮮に写ります。


南小谷からの431Dとして糸魚川に到着したのが17:11……折り返し436Dの出発時間まで26分間、対向ホームからの形式写真やキハ52-156各所のディテールの「一人撮影会」を存分に堪能し、後は出発を待つばかり。糸魚川に着いた時に降り出した雨もいつの間にか止んで再び夕陽が顔を覗かせていました。ふとホームから進行方向を見ると、ダークグリーン地に縁を黄色に塗られたEF81がホイッスルの音を響かせてやって来ます。大阪を正午に出発した「トワイライト・エクスプレス」が神戸を朝9時前に発った私を追い抜いて1番線を通り過ぎていきました。

さぁ、ここから今回の旅行の「メイン・イベント」の始まりです。



【参考Webサイト】
■大糸線-Wikipedia
■大糸線 Oito Line(大糸線のデータベースとも言うべきファンサイト)