■08冬_南部・津軽~はてなフォトライフ作業録(1)


はてなフォトライフにフォルダ「08冬_南部・津軽」の写真とタイトル全294枚アップ完了しました。

写真のアップ自体は2月末には終わっていたのですが、その後写真の題名を付けそびれたまま半年以上が経過し、ようやく画像タイトルの補完が終わったところです。
(★294はアップ漏れの写真の追加分です)


1 旅行日程


岩手・青森両県を08.12.12(金)~14(日)の2泊3日で回ってきた日程は次のとおり。


◆12/12(金)
新神戸駅8:45発→【のぞみ4号】→東京駅11:33着/11:56発→【はやて17号】→八戸駅14:55着/15:07発→[青い森鉄道IGRいわて銀河鉄道]→金田一温泉駅15:37着→(タクシー約10分)→緑風荘(ざしきわらしの宿)<泊>

◆12/13(土)
※緑風荘8:15頃発→(タクシー約10分)→金田一温泉駅8:47発→[IGRいわて銀河鉄道青い森鉄道]→八戸駅9:19着/10:15発→【特急スーパー白鳥1号】→青森駅11:13着/12:23発→(弘南バス)→五所川原駅12:40着<昼食>
津軽五所川原駅14:05発→【津軽鉄道ストーブ列車】→津軽中里駅14:55着/15:17発→【津軽鉄道ストーブ列車】→津軽五所川原駅16:06着→徒歩数分→立佞武多の館→徒歩数分→弘南バス五所川原ターミナル(津鉄駅前)17:00発→(弘南バス)→青森駅18:08着/18:46発→【特急白鳥32号】→八戸駅19:49着/20:14発→[八戸線459D]→本八戸駅20:29着→徒歩1分→ホテルセレクトイン本八戸<泊>

◆12/14(日)
※ホテル6:15頃発→八戸「あさぐる」乗合タクシー(朝市&朝風呂)→ホテル8:30頃着(朝食)
※ホテル9:50頃発→徒歩1分→本八戸駅10:25発→[八戸線434D]→八戸駅10:35着/11:07発(東口)→(十和田観光電鉄バス)→十和田市中央12:20着→徒歩数分→十和田市現代美術館→徒歩1分→市商工会館(昼食)→徒歩数分→一丁目14:37発→(十和田観光電鉄バス)→八戸駅(東口)15:40着
八戸駅16:07発→【はやて22号】→東京駅19:08着/19:30発→【のぞみ87号】→新神戸駅22:22着



2 ”メイン・ディッシュ”


(1) 相方の「メイン・ディッシュ」
①岩手・金田一温泉「緑風荘」と②十和田現代美術館の2つ。

①「緑風荘」は、「座敷わらしの出没する宿」として有名
■緑風荘 -Wikipedia
*過去有名・著名人が宿泊して「出世」したり幸運に恵まれたことで知られる。
*もっとも出現頻度が高い「えんじゅの間」は3年前から予約で埋まる。
*予約は電話受付のみ。ほとんど「瞬殺状態」で3年分が埋まる。
*2011(H23)年末まで予約が埋まっていた。
*当方は2005年の正月に電話をしたらたまたまつながって予約できた。
*「えんじゅの間」以外の部屋は普通に予約、宿泊できる。

→最近10/4(日)夜にボイラー室付近から出火、全焼…という衝撃的なニュースが入る。
  人的被害がなかったのと「座敷わらしの宿」の由来となった隣接する亀麿神社は被害を免れたのは何より。
■観光へ打撃、落胆 「座敷わらしの宿」緑風荘消失(岩手日報Webページ)

十和田市現代美術館…TBS「はなまるマーケット」で紹介された。
■十和田市現代美術館-wikipedia
十和田市の「アートによるまちづくりプロジェクト」アーツ・トワダの拠点施設として2008年4月に開館。
*ただ単に壁に掛かった作品を受身で鑑賞するだけでなく、作品が置かれた空間そのものを「体験」する一風変わった美術館。
*国内外21名のアーティストの22作品(インスタレーション)が展示室(いわゆる「ホワイト・キューブ」)と敷地内のあちこちに展示されている。
*特別展示があるとのことで行き先に決定。

■美術館でひとこと(はてなハイク)より-2009.01.29 19:51post


(2) 私の「メイン・ディッシュ」
いうまでもなく、津軽鉄道の「ストーブ列車」
*客車の中にだるまストーブを装備。車掌さんが時折巡回、石炭をくべて火床をならす。
*ストーブでスルメやおにぎり等を持参して焼くこともできる。
(過去に焼き肉を始めた「猛者」がいて、さすがにそれは制止されたそう)
*毎年12/1~3月頃まで運行。
*経費捻出のため、2007年冬シーズンより特別料金(300円)を徴収。
*また、特別料金不要の一般車両(津軽21形DC「走れメロス」)を併結(地元客はそちらに乗車する)。
【編成】←津軽中里/DD352+団体用客車+個人客用客車+津軽21形DC/津軽五所川原

津軽鉄道の「オプション」
立佞武多(たちねぶた)の館(五所川原駅から徒歩数分)
 五所川原ねぶた祭りで使用されるねぶた(実物大)を展示。
*喫茶「珈琲詩人」(五所川原駅から徒歩5分ほど)
 モーニングセット、昼の定食ともにボリュームがあっておすすめ。
[■駅前通りの憩いの場 -さきた☆たまきのラウンドハウス ~鉄旅に思いを馳せて…]
(このさきた☆たまきさんの記事に触発されて津軽鉄道に乗る前にここで昼食を取りました。ハンバーグ定食1,100円は絶品)


3「オプション」

※八戸「あさぐる」ツアー
*市内の指定ホテルを乗り合いタクシーで朝6時頃出発
*湊の朝市(日曜は場所が変わる)→銭湯→ホテルへと戻る。
*銭湯用のタオル、シャンプーも付いて大人1,000円(現在は1,200円)。
*タクシーの移動&銭湯入浴料込みでこの値段は大ディスカウント。
*日曜朝市の焼き魚の屋台で買った銀むつ(600円)はちょっと高い感じもするが、脂が乗っていて冷めても美味しかった。


イメージ 1
(はてなフォトライフhttp://f.hatena.ne.jp/o_keke_nigel/20081216065112)

★043:緑風荘・槐(えんじゅ)の間(床の間全景)/2008.12.12



●第42回:JR西日本521系電車の貫通幌

「貫通幌の観測と研究」……今回も引き続き7月下旬の「北陸&大糸線青春18』フィールドワーク」で観測した「幌」レポートについてです。


今回のテーマは、2006(平成18)年秋の敦賀直流電化延伸に伴って新製投入された521系近郊型交直流電車ですが、スペック等の詳細はJR西日本521系電車 -Wikipediaをご覧いただくとして、概要については以下のとおりです。


※車両設計の基本は223系5000番台(前頭部&座席配置)と321系(構体設計)
※1編成の制作費は約4億円、直流延伸を要望する滋賀県福井県が負担
※2009年春時点で5編成10両が落成、運用中
※運用区間は以下のとおり
 北陸本線福井以南(米原-長浜-敦賀-福井)
 湖西線近江今津近江塩津
 小浜線舞鶴敦賀(09.3のダイヤ改正から)
※全車「金フイ」(福井地域鉄道部敦賀運転派出)所属
※編成については次のとおり
 米原 クハ520(Tpc)+クモハ521(Mc) →直江津
※トイレは洋式をTc車に装備
※ワンマン対応機器搭載(料金表、運賃箱、ワンマン表示など)
※客用ドア開閉スイッチを車内外に装備
※Mc車は直流用機器のみ搭載、Tc車に集電・整流等交直流対応装備を搭載
※モーターはIGBT素子使用のVVVFインバータ
※直流電車の223系との併結は不可。

「本題」の貫通幌についての特徴は……次項をご覧ください。

2 貫通幌(クハ520)の構造



例によって前幌付きの前面をクローズアップしてみましたが、いかがでしょうか。

瀬戸大橋線の快速「マリンライナー」に投入されている同じ貫通幌装着タイプの223系5000番台(Tc222-5000)のライン色を変えたようなイメージですが…幌装着の向きもJR西日本の既定のパターンとなっている偶数向き(東海道本線基準の神戸向き/北陸本線では敦賀米原向き)となっていて、前幌は制御車のクハ520が受け持っています。

ちなみに、前項の「概要」でも触れたとおり、クハ520には整流用等の各種コンポーネンツがぎっしり詰まっている上に、後位側にパンタグラフまで装着しているので、デビュー時に各趣味誌で目にした際にはこちらがMc車か…でもって前幌の受け持ちのパターンも既定の偶数向きから奇数向きに代わったのかと勘違いしてしまいました。

それはともかくとして、異彩を放つのは……二重の幌座と従来型とは異なり「はめ込み金具」と「受け金具」(私個人が便宜的にこう呼んでいるだけですが)の間隔の広い幌吊で、これは前回記事で取りあげた125系3次車の幌と同じタイプのものです。

この形状の幌は、JR西日本で最近デビューした近郊型車両…223系5500番台(福知山区)やキハ122/127系(姫新線用)にも装着されており、今後のJR西日本の車両の貫通幌の標準になっていくと思われます。それでは、次は幌を装着していない側の形態も見ていきましょう。


3 幌座(クモハ521)の構造



幌の付いていないクモハ521側の部分ですが…前幌付き側と同様に、編成全体と前頭部のクローズアップの2枚写真を挙げてみました。125系3次車とは異なり、こちらの幌座には上辺部分に角張った庇のようなものは付いていません。しかし幌座の上辺のすぐ上には棒状のものか単なるラインかはわかりにくいのですが、長方形の幌ユニットを取り付ける際にぴったりとフィットしそうな直線が一本通っています。


今後521系の増備や運用範囲の拡大があるかどうかは不明(沿線自治体の費用負担がおそらくは必要となる)ですが、北陸新幹線の延伸具合と在来線の運営方法(三セク化?)ともリンクして、521系のこれからの動きには注目していきたいと思います。

◆Vol56:549M「緑のじゅうたんと海」~北陸&大糸線「青春18」フィールドワーク




北陸本線の車窓から」

富山では、6分の待ち合わせで549M(15:44発・直江津行き)に乗り継ぎです。さあ、次に乗るのは何だろうか、と思っていたら……「待望の」475系オリジナルカラー来ました(正確には355Mが到着した向かいのホームで「待ち受けていた」ですが)。

2006(平成17)年に元の国鉄色に復元された475系は、金沢総合車両所の2編成(A16・A19)で、どんな運用で来るのか事前にネットで色々調べてはみたのですが、どうも運用パターンが複雑で予測しにくく、そもそもが敦賀直江津の広域で運用されているので、今回の「フィールドワーク」で出会えるかどうか率直に言ってあまり期待していませんでした。これで今年の運をもしかしたら使い切ってしまったのかもしれませんが、ともかくこれで今回の「フィールドワーク」の目的の2つ目はクリアです。


この549Mの「特急待避停車」は次の東富山の4分停車のみで、あとは糸魚川まで各駅30秒~1分で出発でした。

もちろん東富山では慌ただしくも対向ホームからA16編成の撮影を何とか済ませましたが、詳しくは書庫「貫通幌の観測と研究」の方で記事を上げる予定にしています。

イメージ 2
(はてなフォトライフhttp://f.hatena.ne.jp/o_keke_nigel/20090731010822)

549M車窓 黒部-生地間 緑のじゅうたん

イメージ 3
(はてなフォトライフhttp://f.hatena.ne.jp/o_keke_nigel/20090731010821)

549M車内 吊り広告-かかってきなさい/やっぱり、ひょうご


北陸本線といえば、日本海に沿って北上する路線、というイメージがあって実際地形上はそういうことになると思うのですが、福井から石川、富山にかけての車窓のハイライトは一面じゅうたんが敷き詰められているように広がる水田です(そもそも海岸線を極力避けるようにして線路が引かれているから当然といえば当然かもしれませんが)。やはり「米どころ北陸」といったところでしょうか。今の時期はまだ「緑のじゅうたん」ですが、もう2ヶ月もすれば黄金色の稲穂が風に揺れる景色に塗り替えられていることと思います。

ふと車内の吊り広告を見ると、我が地元兵庫県「やっぱり、ひょうごキャンペーン」の広告が遠い富山県新潟県を走る北陸本線普通列車の中にまであって何か嬉しいようなこそばゆいような妙な感じでした。もっとも475系の運用範囲は先ほども触れたように福井県敦賀から新潟県直江津まで300km以上にわたる広域ですからそんなに変わったことでもないのですが。



富山からの短距離列車が折り返す泊を過ぎたあたりから、ようやく日本海が見えてきました

敦賀から北陸本線の列車に乗り継いで約240km、初めて車窓の間近に海を望む区間です。糸魚川の一つ手前の駅名にもあるように、晴れていればもっと鮮やかな青い海の眺望……というわけにはいかず、残念ながらこのあたりから雲行きが怪しくなり始めました。下の方は、景勝地としてその名が知られる親不知駅で海側を撮ったスナップですが、このあたりは北陸自動車道が海岸線の間近を走るJRより更に海に突き出した珍しい「海中高架橋」となっています。


三ノ宮から新快速、普通列車と4本の電車を乗り継ぎ約8時間……夕方5時過ぎようやく糸魚川駅に到着しました。

大糸線は大学4年になる前の春休みに青春18きっぷで3泊4日の旅行をした際に松本側から乗り通して以来なので、大方22年ぶりの訪問になります。

さあ、ここから今回の旅行の「メイン・ディッシュ」の始まりです。

●第41回:JR西日本125系電車3次車の貫通幌

「貫通幌の観察と研究」……今回の”テキスト”は、今年の7月下旬に1泊2日で「北陸&大糸線フィールドワーク」に出かけた際に敦賀駅で観測した、JR西日本125系3次車の貫通幌です。

「北陸&大糸線フィールドワーク」については、◆Vol50:敦賀直通新快速(1)-北陸&大糸線「青春18」フィールドワーク以降の記事で目下「世界の車窓から状態」にて連載中ですが、このサブタイトル「フィールドワーク」のメインは「貫通幌の観測」(いえ、もちろんそれだけではありませんが)。

朝9時前に三ノ宮から新快速に乗り、敦賀北陸線普通列車に乗り換えたのですが、その反対側のホームに止まっていたのは……下の写真のとおり125系の2両編成でした。

125系についてはこの書庫「貫通幌の観測と研究」でもこれまで2回にわたって取りあげてきましたが、1~2次車と3次車では幌の形状や仕組みが違うようなので、一度しっかりと観測してみたいと思っていたところです。



上の写真は、125系の1位側(奇数側/直江津向き)から撮ったもので、手前が3次車のクモハ125-16、奥の方が1次車のクモハ125-2です。ちょっとこの写真ではわかりにくいのですが、LEDの行先表示器には「長浜」と出ていました。帰ってから「えきから時刻表」で調べてみると、敦賀発の長浜行きは13時台の出発ですが、このときはまだ11時半ごろで、ホームで出発待機にはちょっと入線が早すぎる感じもします。

いや「幌観測」的にはポイントはそこではなくて……3次車・クモハ125-16の幌の付いていない1位側の幌座を見ると、1~2次車とは異なり何かあるモノが付いています。ちょっとこの写真ではわかりにくいので、幌座の部分をズームアップしてみた写真を見てみましょう。


写真左が今回観測した3次車、右が対比のために並べてみた加古川線運用中の2次車のそれぞれ1位側幌座ですが……3次車の方には上辺にそれまでのモノにはなかった「庇のような金具」が付いています。従来の「国鉄型車両」の流れを汲む(?)幌座上辺の構造物が3次車では復活している模様です。

何かちり取りの根元の部分だけを切り取ったような妙な形で、この「庇のような金具」が、従来の国鉄型車両ではガイドレール状の幌座の一部となっていたのに対して、125系では貫通扉の上に直付けされているように見えるので余計に妙な感じがします。


次は1次車と3次車の連結部分の写真……この部分で、幌を受け持っているのは右側の125-16(3次車)の方で、3次車では、これまた国鉄型の車両には標準で付いていた幌吊(幌枠上辺の「矢印」と「輪」の形状をしたモノ)が復活しています。ただ、125系では貫通扉の周囲の幌座に装着されている幌自体に長方形の台座が付いていて、幌座が「二重構造」のような形態に見えるのが特徴的です。

その下の写真は、最初に貼った編成写真を前幌付きの逆側(2位側/偶数側・米原向き)から撮ってみたものですが……こちらの1次車側の幌には幌吊がないのがお分かりでしょうか。


そしてしつこく(?)もう一枚。

3次車と1次車の幌の対比がよくわかります。いかがでしょうか。1次車の側は幌吊がないためなのか、畳まれている幌布が若干平行四辺形状にずれ、垂下してきているようにも見えます。幌骨の構造はよくわからないのですが、やはり幌吊や何らかの形状維持のためのパーツなしでは収納時にどうしても型崩れしてしまうのかもしれません。

1~2次車も3次車と同じように幌吊・台座付きの幌ユニットに改造されるのか、そのままで運用され続けるのか、今後もその動向に注目していきたいと思っています。

◆Vol55:355M(3)「速星でなくて遅★」~北陸&大糸線「青春18」フィールドワーク




時間の進み具合が何か「世界の車窓から」状態になっていますが、福井12:46→富山15:38/355Mの続き(第3弾)です。


高岡駅では、また(もう何回目か)特急に道を譲るために7分間の停車でした。

「特急待避待ち」=私自身にとっては「フォト・ストップ」と化していましたが……今回もホーム到着時にEF510が留置線でお昼寝しているのを見て迷わず跨線橋を渡って撮影です。「お昼寝」なのでパンタグラフが降りていたのが残念と言えば残念でしたが、機関車をこういうポジションで撮る機会はありそうで実はなかなかないのでぜいたくは言わないでおきましょう。


EF510形機関車のスペックや配備の経緯等は上のウィキペディアの記事をご覧いただくとして、姿形は同じ交直流機のハイパワーマシンEH500のショート・バージョンといった趣ですが、実際は直流機EF210の交直流版というキャラクターのようです。ニックネームはEH500の「エコパワー金太郎」、EF210の「エコパワー桃太郎」(爆)に対して「エコパワー・レッドサンダー」。キャラクターロゴは側面にJR貨物ロゴマークと並んでアレンジされてポップなイメージでまとめられていますが、上の写真でお分かりのとおり、側面には無数のキズ(あるいは泥はねの跡?)が縦横に走っており、使用環境の厳しさが伺われます。


元のホームに戻ってくると、氷見線「忍者ハットリくん」ラッピング塗装のキハ40系2両編成もやって来ました。このラッピングは、原作者の藤子不二雄A氏が氷見市出身ということで2004年3月からキハ40-2135~2137の3両に施されており、今や風光明媚な沿線と並んで氷見線の「顔」となった感があります。

私自身は学生時代の1987(昭和62)年の2月に一度だけ「青春18きっぷ」旅行の帰りに氷見線に乗ったことがありますが、その当時に乗ったのはタラコ色のキハ35でした。

できれば城端線(こちらは未乗)と合わせて乗りに行きたかったところだったのですが、今回のメイン・ディッシュは大糸線キハ52ということもあり、また次の機会にすることにしましょう。

高岡を出発すると、終点富山まではあと20分ほど。

このあと越中大門あたりで大学生と思われる女性2人組が乗ってこられました。

「ここ空いてますか?」
「ええ、どうぞどうぞ」
「あ、ここ空いてますよ」
「ありがと。2人ともどこまで?」
「速星(高山本線の)」
「えーあそこ全然速くない、"遅星"だよー」
 
……といった感じでご両人の高校時代の恩師と思われる女性は落ち着いた風貌に似合わず語りは軽妙。富山に着くまで件のお二人はずっと笑いっぱなし。そして3人に囲まれるようにして座っていた私は爆笑を心の中にとどめるのに必死でした。
 
すみません、私の顔がうっとおしかったのは地顔+笑いをこらえるためです。




イメージ 6
(はてなフォトライフhttp://f.hatena.ne.jp/o_keke_nigel/20090730234644)

(左)富山止まり355M(クハ455-47)/(右)直江津行き549M(クハ455-18)


次回予告の1枚。
富山からは直江津行きに乗り換えです。
大糸線への乗り換え駅の糸魚川まではあと一息。

◆Vol54:355M(2)元優等列車の証~北陸&大糸線「青春18」フィールドワーク




福井12:46→富山15:38/355Mの続きです。

イメージ 1
(はてなフォトライフhttp://f.hatena.ne.jp/o_keke_nigel/20090729221018)

富山行き355M 475系金サワA18編成(クモハ475-45側) 金沢駅停車中


14分間停車の金沢では、小松で撮り残した475系編成写真のクモハ475側(貫通幌受け側)からの写真を対向ホームから撮りましたが……この駅は高架となってからホーム全体が屋根に覆われてしまったため、昼間でもホームの大部分は薄暗く、ちょっと駅撮りには向かない状態です。

同じ高架駅でも福井駅は屋根の一部が半透明で光が射し込んでくるのでそれほど暗さは感じません。また355Mの編成写真を撮った小松駅もホームが屋根に覆われた高架駅でしたが、2面3線と狭く左右から光がいくらか射し込んで来るため福井と同様にあまり気にはなりませんでした。それでも上の写真でもお分かりのとおり、天井から射し込んできた光がたまたまクモハ475の先頭部分に当たっているのはラッキーでした。


金沢を出発すると、しばらくは街並みの中を抜けていきますが、七尾線との分岐駅でもある津幡を過ぎたあたりからにわかに街並みも途切れ、475系電車は山あいの中をモーターのブロワ音を上げながら登り、源氏と平氏の歴史的な合戦が行われた峠をその名の由来とする倶利伽羅駅に到着します。ひっそりとした山間の小駅という趣のいかにも絵になりそうなこの駅で特急の待避で数分停車……ならよかったのですが、残念ながらここは普通に1分停車で、駅名標をバックに1カット撮るのが精一杯でした。

この後、石川県と富山県の県境となる倶利伽羅トンネル(2460m)を抜けるのですが、実際に合戦の行われた峠そのものは北陸本線(と国道8号線)が抜ける峠とは別の場所(3kmほど南)にあるそうです。ただ倶利伽羅峠 -Wikipediaによると、この天田峠も含めて、広義の「倶利伽羅峠」と呼ぶようですから、駅名もトンネル名も「看板に偽りなし」ということでいいのでしょう。


倶利伽羅駅名標を撮りにデッキに出た帰り道にふと目に付いたのが……これぞ今は専らローカル運用に使われている475系が「優等列車」用として作られた証ともいうべきアイテム……「洗面所」です。

栓開閉レバー、プッシュ式の出水スイッチ、それからちょこんと申しわけ程度に付けられている小サイズの網棚等々、いかにも「国鉄」テイストの部品類が年代を感じさせます。最近では、洗面所やトイレは保守の都合上T車(サハ)/Tc車(クハ)限定使用になっているようで、使われない洗面所は、洗面台がベニヤ板で粗っぽく塞がれていました(トイレの方は「業務用室」との掲示が出されて閉鎖)。何かこのあたりはもうちょっとエレガントな方法がないものかなぁ……と思ってしまいます。

今回はここまで。

◆Vol53:355M・特急待避待ちの間(1)~北陸&大糸線「青春18」フィールドワーク




福井では7分待ちで12:46発の355Mに乗り換えです。

敦賀からの243Mは1時間ほどの乗車でしたが、今度は富山まで約3時間、少々長い道のりになります。


敦賀からの243M(下の写真の右端に少し写っている)が新車の521系だったのに対し、次の355Mは今なお北陸本線普通列車のエースとして最大勢力を誇る475系でした。福井からは学校帰りの中高生や近隣への用務客と思われる方々が次々と乗り込み、出発直後は結構混み合っていましたが、4駅先の芦原温泉で半分ほどがどっと降りてしまうと、車内にはローカル列車のまったりとした空気が戻ってきました。

北陸本線は今や普通列車が1時間にほぼ1本ペースなのに対して特急が2~3本(大阪・名古屋の両方から来るから?)という「特急街道」。普通列車は所々で数分~15分ほど停車して特急に道を譲ります。


加賀温泉では特急「しらさぎ53号」待避で7分停車でした。

上の方の写真は駅のホームから西側に見える巨大観音像、どうもこの「不自然な巨大さ」、バブル期前後にあちこちで同じ様な代物が建てられた(兵庫県にもあります)という記憶があるのですが、この観音像からも「B級スポット」的なオーラが漂っています。帰ってからネットで調べてみると、案の定なかなか「鋭い」物件でした。

【参考リンク】
■巡り巡って-ユートピア加賀の郷
(遊園地「ユートピア加賀の郷」自体は閉鎖されているようです)

その下の写真は停車中に撮った国鉄エンブレム。左下部分のプレートが剥がされているようですが、おそらくそれは製造メーカー(汽車会社?)のものでしょう(何故か北陸本線の475系や419系にはこのパターンが結構多い)。


加賀温泉を出発して4駅目の小松ではまたも特急待避で6分停車、ここでは対向ホームが空いていたので念願の(?)編成写真をようやく撮ることができました。

「デカ目・前幌付き」475系の編成写真……今回の旅行の「宿題」が一つ完了です(爆)。雷鳥17号」が入ってくるまでのわずかな間にクハ455の側からハイ・ローの2アングルで編成全体を、そして車番、中間車のモハ474…と手早く「仕事」を済ませて撤収です(クモハ475側からの写真は時間切れで金沢まで持ち越し)。

そして金沢では少し長い14分間の停車、ここでは同じホームの隣側に七尾線カスタム車の415系800番台が並びました。

この車両は「415系」を名乗っているものの、ベースは福知山線で使っていた113系800番台や網干所&日根野区の113系0番台で、そこに福知山所485系の交流用機器を移植して交直流電車に仕立てたという「車両マニア」のアドレナリンを大いに刺激するJR西日本ならではの一品です。方向幕や車体色もなかなかカラフル(中間車は赤ベースの塗色)で、いつか七尾線をメインに「幌フィールドワーク」(爆)に行きたいと考えています。

今回はここまで。