古舘伊知郎F1絶叫フレーズ集

△オリビエを聞きながらパニス

attached(,center)ポートレイト 1996年、豪雨のモナコGPでリジェ・無限ホンダを駆ってチームに15年ぶりの勝利をもたらしたオリビエ・パニス。 すいません、記事のタイトルだけで遊んでしまいました(笑)。このタイトルのフレーズ、私が思いついたヤツではなく…

△妖怪あぶらすまし:オリビエ・グルイヤール

attached(1,center)ポートレイト 遅咲きのF1ドライバー、オリビエ・グルイヤール・・・資金難に苦しみつつも、リジェ、フォンドメタル、ティレル等で奮戦した・・・。 「古館語録」、久々の更新です。今回は1989-92年にF1に乗っていた「ミラーを見ないフランス人」…

△髪型は西洋のパンチパーマ エリック・ベルナール

attached(1,center)ポートレイト エリック・ベルナール・・・アレジ、ベルナール、コマスの「フランスのABC」の中では、一番「巧い」 ドライバーだったが・・・一番地味でもあった・・・。 エリック・コマスに続いて今回はエリック・ベルナールです。余談ですが、…

△縁の下の走り屋:エリック・コマス

attached(1,center)ポートレイト Erik COMAS エリック・コマス・・・1991年にF1デビューした頃、雑誌には「コマス」でなく「コマ」と表記されていた・・・。 今回はエリック・コマスです。F1を退いた後はニスモのエースとしてGTで活躍していることもあり、日本のレ…

△F1界の胸毛自慢:エマニュエーレ・ピロ

attached(1)ポートレイト 1989年、ジョニー・ハーバートに変わってベネトンのステアリングを握ったピロ。 マクラーレン・ホンダのテスト・ドライバーも務めたが、F1では目を引くパフォーマンスを挙げたとは 言えなかった・・・。 ピロ・・・といえば、マカオGPのギ…

△走る葉緑素:エディー・ジョーダン&ジョーダンGP

attached(1,center)1991、エディー、チェザリス、ガショー 1991年、F1にステップ・アップしたエディー・ジョーダン・レーシング改めジョーダンGP。 富士フィルム、7UPのスポンサードを受け、ドライバーにはアンドレア・デ・チェザリス、 ベルトラン・ガショ…

△サーキットの一人I.R.A. エディー・アーバイン

attached(1,center)ポートレイト エディー・アーバイン、F1に乗る前は全日本F3000に参戦、ちょっとワルっぽい雰囲気もあって 日本のレースファンにも人気があった・・・。 アーバインと言えば、やっぱり1996年-99年の4年在籍したフェラーリのイメージが強いで…

△天才トムソーヤ イワン・カペリ

attached(1,center)ポートレート イワン・カペリ・・・もっと活躍してもいいドライバーだった・・・。 イワン・カペリ、「セナ・プロ時代」の名脇役の一人でした。レイトンハウス時代は非力なマシンでしばしば上位に食い込む活躍を見せ、勝てるドライバーへの脱皮…

△F1界のおりも政夫 今宮純

attached(1,center)ポートレート いかにも慶応ボーイらしい風貌と、ソフトでいて情熱的な語り口でフジテレビF1実況中継の「顔」 だった今宮純氏。現在はCSのF1中継の解説者を務めている・・・。 古館氏のフレーズはドライバーだけでなく、チームの関係者や「仕…

△F1駅前留学 井上隆智穂

井上隆智穂・・・1994年日本GPにシムテックからスポット参戦し、1995年アロウズからF1に参戦。 名前の正確な表記は「隆智穂」。でもネット上では「隆千穂」の方がヒット件数が多かったり して・・・。 タキ井上・・・F1に参戦した日本人ドライバーの中である意味特異…

△サーキットの通り魔 アンドレア・デ・チェザリス

デ・チェ・・・よく見ればハンサム系だが・・・やっぱりゴリラも入ってるか(笑)。 アンドレア・デ・チェザリス・・・かつてはマクラーレンにいたこともあり、最高位は2位2回、ポール・ポジションも1回奪ったこともある人で、「一発の速さ」はそれなりに持ってた人…

△顔面エスプレッソ アレッサンドロ・ナニーニ

attached(1,center)ポートレート アレッサンドロ・ナニーニ・・・すべてが「濃い」。 F1では1勝にとどまったが・・・ファン・サービスを忘れない好漢だった・・・。 では、ナニーニです。この人も、さあ、これからというところでヘリの墜落事故で腕を切断、縫合には…

△横浜中華街のようだ! アレッサンドロ・ザナルディ

アレックスが一番輝いていたころ・・・F1からCARTワールドシリーズに転じた 彼はチップ・ガナッシ・ホンダをドライブし、97-98年と連続してタイトル を獲得、「オーバーテイク・キング」の異名を取った・・・。 ザナルディといえば、F1よりもCARTワールドシリーズ…

△走るミラノ・コレクション アレックス・カフィ

アレックス・カフィ・・・才能を高く評価されたドライバーだったが・・・。 アレックス・カフィといえば、「セナ・プロ時代」からF1を見ているファンにとっては、1989年~90年あたりに「少し活躍した」男前のドライバー・・・として記憶に残っているドライバーでした…

▲「F1四谷怪談の仕掛け人」アラン・プロスト(2)

◎Prostfan.com -gallery より 1990年、マクラーレンからフェラーリに移籍したプロフェッサー。 この年は最終的にはセナに王座を明け渡したものの、年間5勝をマークし、フェラーリ復活を印象 づけた・・・。 では、アラン・プロスト、続きです。 (28) F1四谷怪…

▲「ステアリングを握ったアインシュタイン」アラン・プロスト(1)

◎Prostfan.com -gallery より タイトルに「近くて遠かった」ころのプロスト教授(右)。 1984年、アラン・プロストはマクラーレンTAGポルシェを駆ってシーズン最多の7勝をマーク。 しかしワールド・チャンピオンはたった0.5ポイント差で僚友ニキ・ラウダ(…

▲「音速の失恋レストラン」アイルトン・セナ(2)

◎totalposter.com -Ayrton Senna より カーナンバー27のマクラーレン・ホンダ 90年シーズン、セナはフェラーリに移籍したプロストとの死闘の末、カーナンバー1を奪い返した。 (スクリーンショットは快勝したモナコGP) さて、セナの続きです。 (23) 音速の失…

▲「音速の貴公子」アイルトン・セナ(1)

◎SPIEGEL ON LINEより 94年、ロスマンズ・ウィリアムズ・ルノーに乗り込む 「音速の貴公子」アイルトン・セナ。 まさにそのキャッチ・フレーズにふさわしい風貌でした。 さて、セナから行ってみましょう。 まぁ「古館実況時代」最大のスターにして当時最強の…

▲中嶋、心のクラッチはまだつながっているでしょう。

(写真:さるお方からお借りしています。88年日本GP、中嶋悟のロータス・ホンダ) タイトルになっているこのフレーズは、1989年日本GP、かの「F1遣唐使」中嶋悟氏が終盤リタイヤした際に、フルタチ氏がスッと挟み込んだ一言です。このレースの中嶋さん、順位…